ヒロシマ 非核化の思惑 ~ゆうてもええかな~
8月6日、広島で原爆死没者慰霊式・平和記念式が行われた。原爆が投下されて65年経って、初めて原爆を投下したアメリカ大使、核保有国のイギリス・フランスの大使が参列した。国連事務総長は、参列の上、挨拶に立った。
アメリカ駐日大使が参列したのは、オバマ大統領来日時に広島訪問を組むための布石だろうし、そのオバマ大統領は、もはや数少ない得点稼ぎである核兵器廃絶をアピールしたいところだ。英仏も同調しているから、今年は特別なように伝わっている。
反面、アメリカでは原爆投下によって終戦にとする正当化論が根強い。なのに大使列席とは何事か、謝罪に近いではないか、という論調で批判が出ている。韓国も日本が被害者であることを強調して戦争を引き起こした責任の言及がないと批判し、北朝鮮に至っては日米同盟強化には断固立ち向かうと叫んでいる。
各国の反応には、あきれてしまう。オバマ政権が「核無き世界」を標榜しているのは、大国が核兵器を持つことへの抑止力論から、テロ組織・敵対国家に対して、核兵器を生物兵器と同じく非人道的兵器として位置づけ、新たな保有を国際的圧力で抑止したいという方へ転換しているからだ。過去はともかく、現在は核戦争よりテロの方を押さえ込みたい。核兵器維持コストもバカにならない。それが主な意図で、過去の使用と保有に対して謝罪していない。
私は、各国大使、国連事務総長の列席に関して、象徴的に扱って欲しいと思わない。単純に、原爆一発で大勢の市民が亡くなった、その慰霊に対して、頭を下げて欲しい。そして、9日には長崎でも慰霊式が行われる、そちらにも、足を運んで欲しい。無理なら、長崎の原爆死没者を想って欲しい。非核化の話は、それはそれで然るべき場で議論を進めるべき。ましてや、日本の戦争責任とか現在の軍事動向の話など、この式典に絡めてもらいたくない。亡くなった市民に対して、無礼だと思わないか。生き残る被害者に失礼だと思わないか。そういう話は別のところで主張してくれ。
日本国政府がだらしないとも思う。非核化を牽引するほどの存在感を示せないかと思う。
(仲)