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2007年7月27日 (金)

バスごと韓国人拉致  ~ゆうてもええかな~

 アフガニスタンで起こった、タリバーンによる韓国人ボランティアメンバーの連れ去り事件は、現時点の状況では、リーダーであった牧師が殺害され、他のメンバー22名は未だ人質として監禁されている状態で、解決のめどは立っていない。
 要求は、逮捕されているタリバーン・アルカイダのメンバーの釈放を求めている。極めて身勝手で、卑劣な犯罪であって、いかにタリバーンの活動に主義主張があったとしても、許されることではない。国際政治上の問題、各国政府の対応、交渉チャンネルの問題など、情報戦の様相を呈しているが、今回はタリバーンの行動に義はなく、22人の安全を確保するべきである。国際的に衆目を集めてしまったし、人質の人数も多い。当事国は政権をも左右しかねない問題だが、タリバーンの要求を呑むことは、次の拉致事件を生むことと同義であり、認められるものではない。
 タリバーンとて、すでに1名、牧師を殺害してしまっているが、これ以上の犠牲者を出すことには、メリットがない。非人道的組織として国際社会を敵に回し、今まで以上に非難と監視、締め付けが強くなり、組織への圧力が高まることだろう。壊滅することは無理だとしても、後ろ盾となっているパキスタンをも巻き添えにして、人命軽視、異教徒軽視に対する非難がさらに強くなりかねない。
 タリバーンは以前、偶像崇拝破壊と称して、バーミヤン大仏に砲撃を加え、先人の遺跡を破壊した傲慢な所行として、さらに国際社会はタリバーンに非難の声を上げた。現在、アメリカの侵攻に始まったタリバーン側と戦闘で、都市部はNATOが指揮する国際治安支援部隊の勢力が鎮圧しているが、地方ではアメリカに反発する勢力がタリバーンなど武装勢力と結びついて反撃するなど、泥沼化している。
 そこへ、今回の事件。22人の扱いを誤ると、タリバーンとてダメージを受けるだろう。許されざる行為は、孤立を深めるだけである。
                              (仲)

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2007年7月21日 (土)

原発だけが問題か  ~ゆうてもええかな~

 海外出張にでかけて、土曜日早朝に帰国した。現地では日本のニュースをほとんど見る時間がなかったため、いつの間にか六ヶ国協議が終わっていたり、琴光喜が優勝争いのトップを併走していたりして、空白の期間を埋めるのに時間がかかった。
 中越沖地震のニュースは知っている。月曜日に発生して、また新潟か、と嘆きつつ旅立ったのだが、帰ってきたら、地震関係のニュースは被災の状況がトップではなく、まず柏崎刈羽電子力発電所の事故がトップニュースになっている。県が立入調査したとか、火災現場をマスコミに公開したとか、夏場の電力供給の不安だとか、放射性物質が微量漏出したとか。もともと、原子力という、人力で後始末できないエネルギーを使うこと自体に反対の立場で、後処理の方法を確立してから商業利用すべきだと思っている。だから今回の地震での異常、変圧器火災時の不始末や、七基すべての原子炉の装置での異常発生については、だからいわんこっちゃない、と思っているが、それにしても内容をよく読んでみると、耐震強度の設定が緩いところで火災や油漏れといった異常が起きていて、原子炉自体にはあまりダメージは受けていない。災害の程度としては軽いもので、よそだと新聞ネタにもなるかどうか、というレベルのことである。それが何故一面トップの扱いになるかというところを、電力会社の皆様方には理解してもらいたい。それほど、原発に対して危険だと思っている人が多いということである。
 マスコミで取り上げるニュースばかりが重要なものとは限らない。深刻なダメージを負った住民の生活、ライフラインの復旧、梅雨の最中での長雨による土砂災害など、現時点で出てきている情報ではむしろそちらが重要で、日本全国どこで地震が起きてもおかしくないのだから、災害発生時の準備と被害を極力おさえるための訓練、近隣自治体との連携や災害発生危険度マップなどの研究の方が、今回の事故をあげつらうより重要だと思う。
 あ、もちろん、原発稼動地は念入りにお願いしたい。放射能は簡単に中和できないのだから。
                            (仲)

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2007年7月13日 (金)

さて、参院選  ~ゆうてもええかな~

 参議院選挙が12日に公示され、29日の投票までの約2週間、熱い戦いが繰り広げられる。選挙区は誰に、比例区はどの政党に一票を入れるか、選挙公報を見ながら考えるのは、楽しい物である。この場合、マスコミの記事はできるだけ耳を素通りさせておくのが、選挙を楽しむコツである。選挙公報、政見放送、そういった、公職選挙法に基づき、自分の主義主張を誰にも邪魔されずに伝える媒体の情報を見比べて、お気に入りを探すのが面白い。マスコミがダメだというわけではないが、専門家の解析や情勢判断などといった情報は、誰かが判定をしているわけで、参考程度にしておくのがよかろう。やはり、己が主義主張を直接見て、聞いて、判断するのが面白い。
 国政での問題は山積している。それを片付けてやろうというのだから、立候補した方々は、まあご奇特な方たちである。いや、趣味や酔狂でやっているわけじゃないな。参議院議員という職を得るための就職活動と考えてもよい。採用不採用は、有権者が決める。組織票を固めるも良し、浮動票をつかみ集めるも良し。自分の主義主張に則って、行動されたし。
 ちなみに。選挙カーによる候補者の名前や政党名の連呼は、少なくとも私にとっては逆効果だと申し上げておこう。睡眠、読書、自宅での持ち帰り仕事、テレビの視聴、こういった日常生活に、スピーカーから大音量で音声を出して中断させられるのは、公職選挙法で認められている選挙運動なのでダメ出しはできないが、歓迎もしたくない。名前を連呼されても、その人がどういう政策を訴えて活動しているのか分からないから、私にとっては、意味をなさない。何をしたいか分からない人に、投票する気になれない。名前と一緒に、公約も言うように。でないと、こちらも判断できない。
 有権者も、安易な投票行動は止めよう。政府や議会には、今直面している国政での問題を解決できるメンツを集めないと、近い将来、日本は住みにくくなるとと思うべし。けっこう、事態は深刻ですよ。今のこの国は。
                           (仲)

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2007年7月 6日 (金)

原爆はしょうがないのか  ~ゆうてもええかな~

 もう辞めた方について、あれこれ言うまい。それよりも、広島、長崎への原爆投下を正当化する発言に注目したい。
 アメリカのジョセフ核不拡散問題特使が、広島・長崎への原爆投下が終戦を早め、何百万の日本人の命を救ったと発言した。こういった考えを持つアメリカ人は、少なくない。世界で唯一、他国に核兵器を使用した国としては、正当化しておかないと、核不拡散問題での立場が無くなるからだ。ここで言う核不拡散とは、核廃棄につながるものではない。核兵器を持つ国が増えて、自国の核というカードが使えなくなるのを防ぐためのものである。
 しかし、原爆投下は、どのように言葉を繕っても正当化できないと考える。被害者意識ではない。戦時下であっても、民間人を意図的に殺戮することが許されるとは思えない。アメリカは、核実験によって、一つの都市を壊滅できるだけの威力があることを確認している。その上で原爆を、十万人規模の都市に投下した。軍人民間人問わず、その都市に住む人の多くが死亡することを知ってなお、原爆投下を実行したアメリカ軍の行為を、どうやって正当化できようか。大量の民間人の殺戮行為を、他のさらに多くの民間人を救うために行ったと主張するのは、力任せしか作戦がないと言っているのと同じで、当時の日本軍の状況を鑑みたとしても、交渉で戦争を終結させるという意識がアメリカ側に無かったと言わざるを得ない。
 東京大空襲でも十万人の民間人が亡くなり、各地で焼夷弾による絨毯爆撃で都市を壊滅に追い込んでいることからも、当時のアメリカ軍が民間人の殺戮に対して無頓着だったことがうかがえる。空襲でいくつもの都市を焼き払った軍が、原爆を投下した意図として、多くの日本人の救済を考えていたと考えるのは不自然である。大量殺戮を承知の上で、原爆を投下したのだ。何百万の日本人の命を救った、などというのは、後付けの結果論でしかない。
 威力を知っていたなら、原爆は使うべきではなかった。私はそう考える。
                            (仲)

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