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2007年4月27日 (金)

特待生でなぜ悪い  ~ゆうてもええかな~

 プロ野球の西武ライオンズが、アマチュア選手に裏金を渡していた問題が、変なふうに飛び火している。プロとアマの不正な金銭のやりとりが問題だったはずなのに、今は高校自体が、野球部員に金銭を援助する特待生制度の全面調査を、高野連が行っている。
 プロがアマに金を渡してはいけない。これは分かる。いわば青田刈りであって、選手、戦力と言ってもいいだろう、その公平な分配のために行われているドラフト制度を覆す不正行為である。金がある球団が、アマの選手を育て、将来の入団へつなげるのだから、野放しにするとアマ選手の囲い込みができる球団とできない球団が出てくる。これはいけない。
 で、今問題になっている特待生制度であるが、これのどこがいけないのか、私には理解できない。特待生制度とは、勉学やスポーツに秀でた生徒を、金銭的事情で才能の芽を摘み取らないよう、金銭面で優遇をする。高野連のお偉方は、どこが気にくわないのか。
 マスコミにはコメントとして、優遇されているという特権意識を持つこと、スポーツに打ち込んでいれば他のことはしなくてもいいと考え勝ちになるため、教育的見地から、野球特待生は認めない、と言うのだが、高校野球はクラブ活動の一環、などと寝ぼけたことを高野連が考えているのなら、噴飯ものである。サッカーなど、人気スポーツが多様化しているとはいえ、やはり高校野球は特別である。高校の全国大会を、天下のNHKが全試合を全国に完全生中継するスポーツが、野球以外にあるか。それも、ほぼ半月にわたって、である。
 野球に限らず、スポーツの技能を学校が優秀と認めて特待生扱いをすることを、どうして否定するのか。勉学だったらいいのか。勉学での特待生は、特権意識も持たず、勉学以外は免除されることが許されているのだろうか。もしそうなら、勉学は特待生として扱うに適うが、スポーツは特待生扱いしたら人間形成に悪影響が出るからダメ、と言っているのであって、勉強ができる子はいい子、スポーツが得意な子はそれしか取り柄がない子、というふうに大人が選別しているわけで、世の中、勉強の成績がすべてか、と叫びたくなる。
 いいじゃないか。取り柄がある子は、伸ばしてやれば。栄光を味わう者は、必ず挫折も味わうものだから。人生自体が人格を形成するのだ。好きなことやらせてやれよ。
                              (仲)

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2007年4月20日 (金)

結末は銃  ~ゆうてもええかな~

 長崎では、市長が一人。アメリカでは、学生含めて33人。痛ましいことである。
 人は誰でも、小説を最低一冊、書くことができるという。己が人生を、名前を変えて書きつづれば、小説になる。平坦な、誰が読んでも退屈だという人生を歩んでいる人は、まずいない。人に歴史有り、人生に山あり谷あり。新聞に名前が載るようなことをしなくても、人間、何らかの、当人にとっては事件と呼べる出来事に巻き込まれているのである。物心つく前に亡くなるのも痛ましいが、その分、親なり兄弟なり、周囲の人の心に重く残る。
 その結末が『終わり』ではなくて『絶』『滅』というのは、悲しい。いきなりの銃撃で絶命。完結せずに、他人に断たれる無念さは、推し量ろうとしてもできることではない。
 だからどうしろ、と言うことができないのもつらくて、銃があることで起こった事件だから銃さえなくなればいいか、というと、台所にある包丁でもその代役は務まってしまう。国内であれば、池田小学校の事件が記憶に新しいが、私はそれよりも、オウムの幹部、もっと古くは豊田商事会長の、衆人の中での刺殺事件を思い出す。そういった行為に至るまでの過程が、どうだったのか。今週の長崎とアメリカの事件でも、事件の背後関係の報道を見聞きするが、いずれの容疑者も、読み解くのが難しい人生を歩いてきたようだ。銃を手にする過程で、どういった感情を持ったのか、他人とどういう風に関係してきたのか。防ぐことはできなかったのか。
 過去の己の人生を、他人の人生を断つ言い訳にできるはずがない。ひと一人の死は、その人が持っていた有形無形の蓄えを、その周囲の人間が背負わせる。利も、負の蓄えも。普通は徐々に『終わり』に近づくから、周囲の者も背負う腹が据わってくる。しかし、『絶』『滅』『断』では、腹づもりを整える暇もなく、死んだ者の書きつづられるべき小説の続きを取り込まなくてはならない。
 結末は、銃でも、刃物でも、テロでもひもでも鈍器でも、完結とは言えない。完結の邪魔をする者は、断たれた者とその周囲の者の重荷を背負うことになるはず。せめて、容疑者がそういう感情を心に残していることを祈りたい。
                             (了)

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2007年4月13日 (金)

中国から来るもの  ~ゆうてもええかな~

 中国の温家宝首相が日本を公式訪問し、首脳会談や国会演説など、精力的にスケジュールをこなした。ここ数年厳しかった日中関係がやわらいでいる印象を受ける。そのように印象づけるために来ているのだから、当然だが。
 共産主義国家のなかでの経済成長を遂げた中国としては、この伸びを下支えするべく、鉄鋼やアルミを始めとする金属等の素材、建設機械や技術、様々なインフラの整備とソフトの充実が必須となる。エネルギーは国内でおおかたまかなえるが、まだ石炭も多く、効率は良くないし、重油の煤煙も加わって、たちまち環境問題、それ以前に公害問題を抱え込むことになる。空気中の粉塵は東京の三倍程度あると言われていて、これが中国だけでなく、偏西風の風下に当たる朝鮮半島や日本にも影響するという見方がある。偏西風に乗って来るのは、黄砂だけではない。
 環境問題を、指をくわえてみているわけにはいかない。温室ガス排出なんていうのは、中国にとってはどうでもいいことで、それよりも大事なのは、EUが定めているRoHS指令での水銀や鉛などといった、環境負荷物質使用の原則禁止を盛り込んだ欧州基準や条約である。中国版RoHS指令とも言われている、自国の環境負荷物質規制に乗り出しているのは、中国がEU市場へ乗り込んで輸出拡大するために必要なステップだからで、このまま経済成長を続けるためには、世界市場に設定されている基準をクリアしなければならない。特にEUは、環境汚染物質に関する意識が高い。多くの国が地続きであること、河川の汚染が下流の国に影響を与えることから、事細かに物質の使用を制限している。制限基準以上の物質を使用した商品は、EUに輸出できない。日本は、自社基準をオーバースペック気味に設定して市場の信頼を得るように動くが、中国もEU市場は無視できない。
 技術力の勝負となると、中国はまだ成長途上で、日本はEU基準をクリアする技術を持っている。日本企業の進出は大歓迎、技術を我が物にしたら、日系企業に用はない。中国から来る誘いの手は、慎重に吟味すべし。コストダウン狙いの進出だと、不要になったら捨てられますぞ。
                                (仲)

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2007年4月 6日 (金)

古墳の発掘保存  ~ゆうてもええかな~

 5日から、高松塚古墳の石室解体と移送が始まった。飛鳥時代の壁画がカビなどで劣化しているため、修復のために実施されているもので、十六枚の石板をバラバラにして空調を整えた施設に運び、修復作業をするという。無事終わるのか、修復後の扱いがどうなるのかは、未定と言っていいだろう。地元の明日香村は、重要な観光資源だから、古墳の形を崩された上に、石室まで持って行かれたのではたまったものではないと、行方を注視している。文化庁も、修復をやってみないと、その後の保護の方針も決められないだろう。
 古墳は盗掘されていたり、切り崩して田畑や道路にされることもあって、原形をとどめるものは少ない。埋葬品が少ないから、誰の墓か比定するのも難しく、言い伝えや古事記などの乏しい文献を頼りに比定するしかない。この高松塚古墳も、例に漏れず、誰の墓かは分かっていないし、盗掘にもあっている。しかし、持っていくことができない物、壁画を残し、千三百年の時を経てなお、当時のかすかな息吹を伝える貴重な文化財である。壁画が残っているのは、高松塚だけではなく、最近話題になったのはキトラ古墳の壁画で、漆喰塗りの上に描かれた絵図を、はぎ取って修復、保管する作業に入っている。
 高松塚のように、壁画が大事と、古墳の形を崩してしまっていいものかどうか、議論が分かれるところだが、少なくとも考古学者は、わずかな遺跡遺物を頼りに過去の姿を研究するのだから、報われない研究者も大勢いることだろう。その考古学者が、指をくわえてみているのが、天皇陵である。
 大和・飛鳥・河内・山城にある天皇陵は、宮内庁の管轄になる。現天皇家の先祖の陵墓だから、立入禁止。宮内庁関係者が祀る行事はあっても、中を隙間からのぞき込むこともできない。もし歴代の天皇陵が未盗掘なら、考古学的発見は山のように出てくるだろうが、実は間違いでした、というケースもあるかもしれない。現に、太田茶臼山古墳が継体天皇陵となっているが、1.5キロ離れた今城塚古墳が継体天皇陵だという説もあり、こちらは発掘が進んでいる。
 まあ、被葬者にしてみれば、石室までバラバラにされるのなら、そっとしておいてくれ、というかも知れないが、温暖化が進むと、現状維持も難しいかもしれない。大いに議論した方が良さそうだ。
                                 (仲)

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