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2006年10月27日 (金)

学校で教えること  ~ゆうてもええかな~

 独り身だから子どもはいないが、中学生の姪と小学生の甥がいる。二人とも、今のところ、のびのび育っている。姪はマイペースで本を読んでおり、甥は近所の友達同士で楽しく遊んでいる。
 この子たち、両親は共働きだが、祖父母が近所に住んでいて、両親不在でも、一人で食事をすることは、まず無い。両親も虐待のしようがない。ご近所や祖父母の目が届くところで生活していれば、まあ安心していいだろう。
 ところが、このごろは学校が物騒になっているようで、そちらの方が怖い。先生がいじめのきっかけを作った、などと報じられるのを見ると、学校で何を教えているんだろう、と思う。いじめなんて、私が子どものころ、三十年くらい前にもあった。しかし、そのころは逃げ場所があった。子どもの活動範囲は学校だけでなく、家に帰れば近所の子どもたち、高学年から幼稚園のチビまで一緒になって遊ぶコミュニティがあった。学校に行きたくないなと思っても、死ぬところまで追い込まれることは稀であった。
 だからといって、親たちがご近所のコミュニティの役割まで学校に求めるのは、酷というものだ。先生は、勉強を教える人。人付き合いやしつけ、いじめられたときの対処まで、先生が教えろというのは、無理な相談だ。先生ったって、近ごろの若いのになると、どんな教育を受けてきたか、分かったものじゃない。親たちは、自分が受けてきた教育を思い出して、反省すべし。
 ただ、受験科目しか教えない高校も、どうかと思う。生徒集めのために進学率を上げるという経営方針は、それ自体は立派だが、決められた授業の枠を取らずに受験科目に集中するというのは、ルールを破っても競争に勝てばいいという価値観に捕らわれている学校の焦りが見える。
 ただ、高校を責めるのは酷のような気がする。ころころ学習指導要領を変えたり、管理指導してこなかった教育委員会や文科省の責任が大きいと思うが、いかが。
                                       (仲)

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